不妊治療のキロク

2017年から矢内原ウィメンズクリニックで不妊治療を開始し同年に顕微授精で子供を授かりました。今は一人目育児に奮闘中!

出産は生んで終わりじゃない!胎盤が出てきてから大量出血した話

出産は胎盤が出てくるまでが出産ですよ、という言葉はないけれど、そうだと思う。そう私は出産自体は割とスムーズだったのにその後、2000ccも出血してしまい、大変なことになったのです。

でも可愛い赤ちゃんと早く一緒の部屋になりたいという一心でモリモリご飯を食べ次の日には歩けるようになるまで回復したのでした。

今日は、その時のお話。

無事出産が終わり、ホッとしたのもつかの間

大変だった出産が無事終わり、余裕の出てきた私。

 

赤ちゃんを早く抱っこしたいな〜!

カンガルーケアまたまかな〜!

 

とワクワクしながら胎盤が出てくるのを待っていたが、待てど暮らせどなかなか胎盤が出てこない。へその緒が股からブラブラさせてるのが分かるのでなんとなく気持ち悪い感じがする。

すると、先生がエコーで胎盤を見たりしつつ、あまりに出てこないのでちょっと処置しますね〜なんて言いつつ手をぐっといれられた。流石に生んだ直後の内診はちょっと痛い…。

が、その処置のおかげかヌルンと出てくる胎盤。なんか気持ち悪い感じ。

その後暫くするとおしりの周りがじんわりと温かくなってきた。私は分娩台に温かくなる機能があって生んだあとお母さん達が寒くないようにするのかな?なんて思っていたが、それは全て私の血液だった。

よく、漫画とかでボロボロにやられた人が出血して倒れているシーンで「なんかあったけぇ・・って俺の血か・・・俺って死ぬのかな・・・」みたいなことを言っているけどあれって本当なんだね。

因みにその頃、旦那は処置される赤ちゃんの横に行き写真を撮りまくっていた。

 

そんな中、分娩室は徐々に慌ただしくなってきた。助産師さんの数も増え、私は心拍を図る機械を取り付けられていた。先生は切開した会陰を縫っていたが、意外とそれがチクチク痛くて思わず「イテテ…」と声が出てしまった。

そのうち、助産師さんが「大丈夫?意識ある?」などと尋ねてきて、どういう意味なのかわからず、「はい」と答えていた。

さらに、右腕には元々誘発分娩用の点滴をしていたんだけど、その腕にさらに何か別の点滴が追加され、さらには左手にも点滴が刺されていた。

はじめての出産だったし、みんなこんな感じなのかなーくらいだった私は他の助産師さんと雑談してた。

が、暫くするといつもおだやかな先生が

 

「血圧どっちが本当なの!?」

 

と、声を荒らげていた。さらには

 

「旦那さんは外で待っててください」

 

と言われ、追い出されてしまう。

何やらバタついてんなーなんて思ってたら段々と寒くなってきた。

 

「大丈夫ですか?意識ありますか?」

 

とまた聞かれたので

 

「大丈夫ですけど、ちょっと寒いです」

 

と伝えると一斉に毛布やらなんやらで暖かくしてくれた。なんて優しいんだと感動したくらいだ。

 

この時の私は胎盤が剥がれ落ちたところからの出血が止まらず大変な状態になっていた。私の血小板ちゃんはのんびり屋さんか。

もちろん、血圧も下がっていた。結局2000ccもの出血をした私はカテーテルをいれられ、心拍の機械を取り付けられ重病人かな?という状態になっていた。

 

が、当人は知らないので

「カンガルーケアっていつやるんですか?」

とか聞いて助産師さんたちを困惑させていた。

「早く赤ちゃん抱っこしたいなー」

などと話す私は産後ハイだったのか、ただの鈍いやつだったのか…。が、とにかく元気そうだったので輸血まではされず、暫し分娩台の上で待機だった。途中、汗だくの服を着替えさせてもらった時も「起き上がらないでね!」と、言われ寝たまま助産師さんたちに着替えさせられていた。

その後、やっとこさ赤ちゃんを抱っこさせてもらい、その愛らしさに手放したくなくなった。

処置が終わるとやっと旦那の入室が許可され、駆けつけていた私の母と妹も分娩室にやってきた。このあと、今日は部屋ではなく陣痛室に戻すと言われ「今日は母子同室できないってことですか?」と尋ね「そうね。ちょっと今日は無理かな…」と苦笑いされた。

両腕に点滴をさして心電図のコードもつけ、カテーテルまでされてるクセに何言ってるんだコイツ、状態である。

 

因みにこのときの私は顔が真っ青で、顔中内出血(いきんだときにそうなったと思われる)だらけ、なんなら目の中も内出血してた。どんだけ力入れたんだ。

 

とにかくパッと見ヤバかったという。

とはいえ、息子は本当に可愛くて可愛くて!赤ちゃんってプリプリなイメージがあったけど、生まれたての赤ちゃんは結構鶏ガラ。妹が生まれた直後はガッツ石松だったし、赤ちゃんって割とガッツ石松ぽい顔してるんだけど、息子は目がくりっとして可愛かった。眉毛もないし中村獅童感ある!とか親ばか全開。でも私だけでなくその場にいたみんなメロメロだった。

 

さて、そんなこんなでやっと陣痛室に戻れる流れになり、

「頑張って車椅子に乗ってね!」

と言われた。出血多量という事実を知っていても当人は元気なつもりなので、

「歩いていけますよ!」

なんて言っていた。それに対して助産師さんも笑ってて

「起き上がることすらできないと思うし起き上がれたとしても、目が回るよ〜」

と、にわかに信じられないことを言っていて、そんなまさか〜なんて思ったけど、とりあえず言われたとおり頭を下げた状態で起き上がり車椅子に乗った。確かに起き上がると気持ち悪くて目が回って、その時初めて「本当に、貧血だったんだ」と思った(遅い)

そりゃあ2リットルも出血してるんだから、当たり前なんだけど、今まで2リットルも出血したことなかったから、ビックリした。新たな知見。

 

とりあえず、一人で歩いてトイレに行けるまで部屋には戻れないと言われ、可愛い息子と早く母子同室になりたかった私は早く元気になるしかない!と思った。

まずは、食べる!飲む!体力を戻す!ということで、夕飯を運んでもらった。が、ベッドを起こすと気持ち悪くて食欲が出ず、ご飯にお味噌汁をかけたねこまんまを、もりもり食べた。おかずは旦那が食べていた。

その様子を見て夜勤の先生も

「食べられるなら大丈夫だね」

と言ってくれたが、油断は禁物ということで、何かあったらすぐ呼ぶようにと言われた。

その後、旦那は帰宅。息子もナースステーションへ帰っていきひとりぼっちに。

私も疲れていたのか就寝・・・したものの寝返りを打てず何度も起きてしまい、全然眠れなかった。その夜、私を担当してくれた助産師さんはその後も度々お世話になり、とても頼りになるいい人だった。

 

翌日、立ち上がれるようになる

翌日、朝ごはんを食べた。その日はお粥だったので、私が弱ってるからわざわざお粥にしてくれたのかな?なんて考えたけど、どうやら全員お粥だったらしい。お粥というか中華粥というやつでトッピングがいくつかあったのだけど、私は気づかずお粥だけもりもり食べきった。

矢内原医院のごはん、とっても美味しい。

 

カテーテルがあると寝返りもできず、結局眠れない・・・ということで朝食後、歩いてトイレに行く第一関門を突破。

 

カテーテルがないって快適!

やっと部屋に帰れたのだった。だがしかし、ちょっと歩くだけで息が切れる貧血って恐ろしいね。ということで部屋に戻ってもベッドの上に待機。しばらくしてから、助産師さんが息子をコットに入れて連れてきてくれた。

可愛い息子に癒やされる。

 

貧血については、入院中2日に1回は血液検査が行われヘモグロビンの数値の経過観測が続いた。そして結果的に退院が2日ほど伸びる結果となったのだった。